コミュニケーションの各論としてのアサーション②

 これまで日本人は、“沈黙は金なり”と言ったように、寡黙を美徳としてきた。

 しかし、今では人前で自分の考えや意見を積極的に言うように教え、発表することを評価している。児童教育、学生教育、社員教育にもこの考え方は、取り入れられている。その教育の成果は着実に表れている。

 しかし、一つの課題が解決されたら、次の課題が出てくる。“話せる“ようになったら、次は、“何を”、“どのように”話すかだ。量の次は、質が求められる。自分の考えを発信する機会が増え、話せるからと言って、何を言ってもよいということではない。ネットの書き込み然り、不毛な議論然り。話し合いが、状況を悪化させる要因にもなる。

 次の教育は、アサーティブな話し合いだ。自己主張するなら、『自分も相手も尊重した、責任を伴った自己主張・自己表現』をした方がよい。

 自己主張で満足せず、良い結果を生み出す話し合いの“考え方と技術”の教育が必要だ。≪次回に続く≫

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